今日のポジティブワードは、「楽しい」。
この言葉って、すごく明るくて、元気な響きがある。
でも、心が疲れているときほど、
「楽しい」という感情が、遠い場所のものに感じられてしまう。
周りが笑っていても、自分だけ置いていかれてるような気がしたり、
「楽しまなきゃ」と思うほど、逆にしんどくなったり。
僕も、あの頃はずっと、
「楽しいって何だったっけ?」とぼんやり考えていた。
「楽しい」を感じるって、実はすごく繊細なこと
子どもの頃は、理由なんてなくても楽しかった。
泥だらけになって遊んだり、くだらない話で笑ったり。
ただその瞬間にいるだけで、自然に楽しかった。
でも大人になるにつれて、
「役に立つか」「意味があるか」「人にどう見られるか」――
そんなことを考えるようになって、
楽しいことさえ“ちゃんとしたこと”でないと許されないような気がしてた。
「何が楽しいか」は、他人が決めるものじゃないのにね。
心が疲れていた頃、楽しいことが何もなかった
当時の僕にとって、「楽しい」は、
憧れみたいな言葉だった。
テレビで笑っている人たちを見るのもしんどくて、
「どうせ自分には関係ない世界だ」と思ってた。
でも、ポジティブな言葉をノートに書き続けていくうちに、
少しずつ「楽しい」のかけらみたいなものが戻ってきた。
音楽を聴いて、ほんの一瞬リズムに乗ってる自分に気づいたとき。
道端で小さな花を見つけて「かわいいな」と思えたとき。
それは笑い転げるような楽しさじゃないけど、
ちゃんと、自分の心が「いいな」と思えていた。
楽しいは、探さなくても「ふと」やってくる
無理に探さなくていい
「楽しまなきゃ」「楽しんでるふりしなきゃ」と思うと、
逆に苦しくなる。
だから、無理に何かを“楽しもう”としなくていい。
「ふと笑えた」「なんか心がゆるんだ」
それだけでも、十分に“楽しい”の入り口だと思う。
人の楽しさを眺めるのも、やさしいスタート
誰かが楽しそうにしているのを見るだけで、
自分の中にもほんの少し、火がともるような瞬間がある。
YouTubeのどうでもいい動画、
SNSに上がった誰かの趣味、
ふざけ合ってる子どもたちの声――
「自分には関係ない」と思ってた楽しさが、
ちょっとずつ、自分の方にも流れてくる。
まとめ:「楽しい」は、静かに戻ってくる
「楽しい」を感じられない自分を責めないでください。
その気持ちは、あなたがずっと頑張ってきた証拠だから。
そして、ある日ふと、
ちょっとだけ笑ってる自分に気づけたら、
それは立派な“楽しい”の芽です。
心が疲れている日こそ、
ほんの小さな「楽しい」に気づいてあげてください。
今日も読んでくれて、ありがとう。
このブログを書いている人
心が壊れそうになった10年前。
そのとき、僕を支えてくれたのは、たったひとつのノートでした。
ポジティブな言葉を、意味も考えず、ただひたすら書き続けたノート。
いつかどこかで、同じように苦しんでいる誰かがその言葉に出会えたらと思って、
今、こうしてこのブログを綴っています。
心が疲れたとき、
ほんの少しでも呼吸がしやすくなるような。
そんな言葉をひとつでも届けられたら、うれしいです。